話の迷路に人生を見る ~もはや長話は戦術~

えー、私はですね、話が……長いんです。
これはもう、体質のようなものでして、生まれつき……というより、気づけばもう、口を開いたら最後、5分は止まりません。

若い頃は、「自分の話、ちゃんと伝わってるかな」「相手、つまらなくないかな」と、気にしておりました。
それがですね、今ではもう、開き直っております。
「話が長い? ああ、そうだよ。で、何か?」くらいの気持ちです。

なぜそうなったか? 理由は明確です。
話の長さは、“感じ方”の問題なんですね。
カレーが辛いか甘いかと同じです。
私の話が長いと感じる人もいれば、「あっという間だった」と言ってくれる人もいる(ごく少数ではありますが)。
つまり、これは私の問題ではなく――あなたの感性の問題である、と。

いやもちろん、自分にも原因があるのは重々承知しております。
私は見えません。視覚の情報が限られている分、音や空気の変化に頼って生きている。
たとえば「犬が通った」と言いたいだけなのに、
「遠くからカシャカシャとリードが擦れる音が近づき、低く息を吐くような気配とともに、飼い主が“よし”と一言つぶやき……」という描写を始めてしまう。
これはもう、性(さが)であります。

結果として、言葉が多い。無駄に多い。うるさいくらいに多い。
私の話はもはや説明ではない。口から出る朗読です。
一文一文に“情景描写”が入り込み、説明は引き伸ばされ、オチにたどり着くころには相手がトイレに立っている、というケースもございます。

加えて、私は昔から、交渉ごとの際に“話が長い”ことで優位に立つ癖がついております。
延々と話し続ければ、相手は疲れてきます。
「もういいから、わかったから」と言って譲歩してくれる。
ええ、私の話の長さは、戦略兵器なんです。合法的、非破壊型、持続型。
決してスマートではありませんが、結果は出ます。

それでも、「話を短くする努力はしないのか?」と問われれば、私はこう申し上げます。

努力しました。何度も。
で、3行で済む話が20行になりました。なぜか増えました。
これはもう、神の悪戯か、私の脳のバグです。再起動も効きませんでした。

ですから私は、話が長いことを“短所”と捉えておりません。
むしろこれは、他人を混乱に陥れながらも何かを伝えようとする、不器用で壮大な実験です。

最後に、もしここまで読んでくださった方がいれば――
あなたは、もう立派な私の“被害者”です。
どうぞ、この長文があなたの記憶に残りませんように。

ありがとうございました。

コメント

  1. 奢られポケモン より:

    アワワワワワ被害を被りました。最後まで。150%。示談にしてあげますので次回(も)飲み代ごちそうさまです。

    • computerbba より:

      あらら、150%まで被害が増してたとは…お詫びに次回は“飲み放題(私の財布が)被害無制限プラン”で対応いたします
      ただし、示談書は手書きで3通提出していただきますので悪しからず笑

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