私には、長年つきあっている天敵がいます。
ええ、それは「人間関係」とか「お金」とか、そういう立派なものじゃありません。
爪切りです。
はっきり申し上げて、私は指先に関して非常に脆弱であります。
視覚が頼れないとですね、まず“切っていい部分”が見えない。
えいやっと切っても、実際どこを切ったのか分からない。
たまに「今、皮ごといったな」みたいなゾクッと感が走る。
こんな感じのセルフ人体実験を長年繰り返してまいりました。
もちろん、問題は切ったあとの処理です。
きちんとヤスリをかけるとか、保湿するとか、そういう「爪の世界の常識」が私の辞書にはなかった。
で、結果どうなるか。
ささくれ、こんにちは。
そして、無視すればいいのに気になって触る。剥く。裂ける。血が出る。腫れる。
そう、毎回律儀にひょうそまでワンセットで育ててしまうんですね。
才能って、そういうところに出るんです。
あまりに繰り返すので、最近ではツマにお願いすることにしました。
「頼む、俺の指を戦場から救ってくれ」
「切ってくれるだけでいい。俺はもう、触らない。絶対触らない」
――そう誓ったのに。
ある日、丁寧に切ってもらったその数時間後、
なんとなく、指先にあの忌まわしい“ザラつき”を感じるわけです。
ここで普通の人はスルーするんでしょう。
でも私は違う。
見えないくせに、指先の違和感にはやたら敏感。
“ちょっとだけ剥けば大丈夫”という謎の自信に支えられ、
ビリッといきました。勢いよく。自信満々に。
結果?
3日後、指はぷっくりと腫れ上がり、仕事の効率が10%落ちました。
それどころか、気になるからまた触って、さらに悪化。
まさにささくれ地獄のループであります。
あまりに痛むので病院へ行ったところ、若い先生が患部をチラッと見て、こう言いました。
「えっ…ひょうそ? 今どき、ひょうそになる人いるんですね」
ぐうの音も出ませんでした。
痛みよりも恥ずかしさの方が勝ったのは、間違いなくこの日が初めてです。
ここまでくると、さすがに悟ります。
これはもう、ツマのせいでも、爪切りのせいでもない。
私の中に巣食う“触りたがり根性”のせいであると。
どんなに視力があっても、どんなに仕上げが完璧でも、
最後に台無しにするのはこの“いらんことしい精神”なんです。
今では、指先に違和感を覚えたときは、
自分にこう言い聞かせています。
「触ったら負け。お前は負け続けてきた男だ」と。
世の中、「見えないこと」が問題なんじゃない。
見えなくても、自分でわざわざ地雷を踏みにいく習性のほうが問題なのだと、
今日もひょうその指を冷やしながら思うのであります。
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