🎤 光がないからといって、人生まで暗いとは限らない 〜ある視覚障害者による高らかな開き直り宣言〜
えー、本日はこのような場をお借りいたしまして、
私自身について、そしてこのブログについて、少しお話をさせていただきたいと、そう思っております。
私は、いわゆる視覚に困難を抱える――平たく申しますと、ほとんど見えておりません。
ただしですね、「全く見えないのか」と問われれば、それはまた少し違うわけであります。
光の加減、ぼんやりとした輪郭、そして時折見える“気配”。
ええ、そういったものを総動員して、日々なんとか生き延びている、ということであります。
🔥日常は戦場であり、笑劇であります
日々の生活においては、静かなるボヤ騒ぎを連発しております。
たとえばですね、カフェで注文しようと話しかけた相手が、空気清浄機だったことがございます。
バスでは、「ここ、空いてますか?」と声をかけたのが、つり革でありました。
コンビニで「楽天ポイント使えますか?」と堂々とスマホを見せたものの、画面に映っていたのは電卓アプリでございました。
これはまさに、視覚障害者の“あるある”にして、他人からすれば“笑いの宝庫”であるわけであります。
🍈Fカップ以上――これはもはや政策課題であります
えー、そしてここからが本題であります。
私は大きなおっぱいが、好きであります。
いや、これはですね、もうずっと昔からでありまして、
決して途中で嗜好が変わったわけではございません。
むしろ、見えなくなってからのほうが、より一層、こだわりが強化された感すらあるわけであります。
とりわけFカップ以上、これが私の中での最低保証ラインであります。
このサイズ感を下回った場合、想像力が正常に作動せず、もはや人類の夢を語れない領域に入ってしまうということでございます。
「見えてないくせに、よう言うわ」とおっしゃる方もいるかもしれません。
しかし、私は申し上げたい――
見えないからこそ、想像力が育つのであります。
我々が生きるこの現実社会において、想像というのは希望であり、夢であり、そして時に武器であります。
その意味で、Fカップ以上のおっぱいは、私にとって平和と希望の象徴であり、視覚を超えた国家的遺産であります。
📘このブログについて、簡単にご説明を
本ブログでは、そういった私の愉快な日常をありのままに綴ってまいります。
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失敗の連続と、それでも笑える日々
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見えない中で迷子になった夜の出来事
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自業自得の恋もどきや、ズレた人間関係の破片たち
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そして、Fカップ以上に対する誠実な情熱と淡い妄想
これらを通じてお伝えしたいのはただ一つ――
「見えない人生は、不自由かもしれないが、不幸とは限らない」
ということであります。
🚶♂️進む力、それが“見えない人間”の最大の武器であります
私は、見えておりません。
でも、見たい世界があります。
できることなら、触れてみたい胸があります。
話を戻しますと、進みたいという気持ちは、いつだって鮮明なのであります。
このブログを通じて、誰かが少し笑えたり、少し救われたり、あるいは「お前アホやな」と肩を揺らして笑ってくれたら、
それが私にとっての成功であり、報酬であり、Fカップに匹敵する至福であります。
皆様の寛容とユーモアと、ほんの少しの変態的興味をお借りしながら、
今後も全力で更新してまいります。
どうか、よろしくお願い申し上げます。