ほぐせぬ魚と甘やかされ人生

皆さん、こんにちは。
本日は、大変にどうでもいい、けれども私にとっては死活問題とも言える話をいたします。

私は魚が、好きであります。
それも結構好きであります。
焼き魚の香ばしさ、煮魚の甘じょっぱさ、刺身の繊細さ――どれも、心にしみます。
しかしながら、私は「魚をうまくほぐせない」という、痛恨の欠陥を抱えております。

見た目はおっさん、中身は“魚初心者”。
箸を入れれば、身ではなく骨が先にこんにちは。
骨を外そうとすれば、皮と一緒に身まで全部はがれてしまう。
焼きサバと私の間には、どうにも埋まらぬ溝があるのであります。

これが、もし一人で完結する話であればまだいい。
しかし、問題は外食。
会社の同僚と定食屋に入ると、
「このサンマ、最高っすね!」という明るい声が飛び交う中、私は静かに唐揚げ定食を選びます。
まるで魚に後ろめたい過去でもあるかのように、目をそらし、黙って肉に逃げる男であります。

家ではどうか――
こちらは、もう完全に“魚ほぐし介護体制”が整っております。

焼き魚が出れば、妻と義母がノールックで動き出す。
私は何も言わずとも、最終的に「身オンリー」の奇跡の一皿が手元に届くのであります。

骨も皮もなく、ただ箸でつまむだけの白身が目の前に並んだ時、
私はこの家に嫁いできてくれた妻に、義母に、そして私を見放さなかった神に感謝せざるを得ません。

こうなると、もう“自分でやろう”という気すら起きません。
まさに人間、甘やかされるとここまで堕落できるのかという一例であります。

そして夏、そうめんの季節が来れば、私はさらに輪をかけて情けない姿をさらすのであります。

薬味?誰かが入れてくれます。
つゆ?注がれて出てきます。
麺?ゆでられ、ほぐされ、すでに食べやすく整えられています。

私は、ただ椅子に座って、「ああ、今日も日本に生まれてよかったなぁ」と思いながら、
一口、また一口とすすっていくだけの存在。

もはやこれは「食卓で育成されるペット」。
箸を持ったポメラニアンです。

ちなみに妻と二人きりの夕食では、
「ほら、口開けて」と言われて、「あーん」と本当に口を開けることすらあります。

ここまでくると、もはや人としてどうなのか?と内なる声が囁くのですが、
それでも私は、口を開けて待っている。
何も考えず、されるがまま。
これが“魚をほぐせない成人男性”の末路であります。

でも、これが私の現実です。
できないことを無理にやろうとして、グチャグチャになって台無しにするより、
最初から人に頼って、うまくいったほうが、よっぽど健全であります。

私が魚をほぐせないという事実は、これからも変わりません。
ですが、魚をほぐしてくれる人がそばにいる限り、
私は今日も、堂々と「魚好きです」と胸を張って言えるのです。

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